東京都多摩市永山の地域情報サイト多摩・永山タウン

新春対談 知の地域づくりを考える 柳田邦男(ノンフィクション作家) × 阿部裕行(多摩市長)


時代の変化が私たちのまちにも訪れる年

市長
皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年2017年はアメリカの大統領選挙に当選したトランプ氏が、今月大統領に就任され、フランスやドイツでも大統領選挙や連邦議会選挙が行われます。また、わが国では、5月3日に日本国憲法が施行されて70周年を迎えます。自治体においては、少子高齢化、特に高齢化の進展により、物質的豊かさから、精神的豊かさというものも問われていく、そのような年だと私は思っています。

さて、今回の新春対談には、ノンフィクション作家であり、多摩市の図書館本館再構築基本構想策定委員会で委員長を務めていただいている柳田邦男さんにお越しいただいております。まずは柳田さんにとって、今年2017年がどのように映っているのかを伺いたいと思います。

柳田
今は世界史的にも大きな転換点に立っています。そして、その変化は大きな枠組みだけではなく、大河の流れから小舟が抜け出せないように、地域にも訪れていると思います。アメリカでは大統領が変わり政治思想の変化もあるでしょうし、イギリスのEU離脱はヨーロッパの在り方を揺り動かすような大きな問題となっています。東アジアでは北朝鮮の問題だけでなく、中国のアグレッシブな進出や韓国の危機などさまざまな問題があります。そうした中で、日本も変わるでしょう。歴史というのは同時進行では変化がなかなか捉えにくいものですが、振り返ると「あの時大きく変わった」と言われる。そんな時にきているのだと思います。その中で、わがまちがどう変わっていくのかを考えることが、これまで以上に問われています。

市長
保護主義的な考え方が、地域のまちづくりにも広がったときに「本当に大丈夫なのか」といった不安もあります。

柳田
富の集中が、格差社会を深刻化します。この問題は、都市集中化にもつながりますので、大都市周辺や地方にとっては大変な時代だと思います。資本主義経済の行き着く果てに格差は避けられないのですが、これを経済レベルだけで解決しようとすると失敗します。地方の再生も、地域の経済再生に偏りがちですが、やはりそれでは成功しない。少子高齢化といった人間社会の大きな変化もある中では、「文化」や「人は何で満足するのか」「一人ひとりの生き方はどういったものか」ということを改めて考える必要があると思います。

「再生」から新しいキーワードへ。価値観の転換を

柳田
過疎化が進み、自殺者数が多いのが秋田県です。この根底にある一番深刻だと感じたものは、おいしいお米が作られる農業県なのに、地域の人に「農業をやるのは負け組」という価値観が根付いてしまったことです。都会に出たり、会社に勤めたりするのが勝ち組の仕事というのでは、農業に跡継ぎもいなくなり、地元で生きがいを見いだせない。人間大切なのは働く中で仕事に生きがいを持つことです。これはなにも地方だけではなく、大都市周辺の市町村でも同じように起きている問題です。一流の企業に勤めたいのに、非正規社員で働く人などは負け組と呼ばれる世の中になっています。

市長
多摩ニュータウンは働く人たちのために作られたまちです。終身雇用が約束され、輸出大国になり、物質的豊かさをさらに増やしていける時代で、都会が憧れの的になっていました。しかし今は、人口が減少していること、全てが右肩上がりではないこと、働き方が多様化していることなどにどう向き合っていくかが問われています。今までのモデルがうまく当てはまらない厳しい状況にある中、いろいろな波を受けていく時期がきました。

柳田
これからの時代、価値観を変えないと自分の人生に満足感や納得感といったものが得られないのではないでしょうか。資本主義の歴史のうねりは、どうしても一極集中や所得格差をもたらしますが、その中で「俺は違う生き方をする」ということを見つけないと、自分の人生に満足感を抱けないと思います。

市長
柳田さんが全日空羽田沖墜落事故やカナダ太平洋航空機墜落事故を取材し著された「マッハの恐怖」は、私にとって衝撃的でした。日本が高度成長期だった当時、柳田さんはおいくつでいらしたのですか。

柳田
まだ20歳代の終わりから30歳代前半でした。実は、多摩市には縁が深く、1970年代から20年くらい桜ヶ丘に住んでいました。私が当時興味を引かれたのは、毎年2桁も市の財政が伸び、新しい事業や建物も何でもできる時代だったということです。それにその頃は、多摩ニュータウンに永住したいという人が98%もいましたので、マンションや戸建てに空き家が出るなんてことは、当時想像もつかなかったです。ですから、これからこの地区を住み良いまち、あるいはわが故郷としていくには、大きな方向転換が迫られていると思います。私は「再生」という言葉には少し引っ掛かりがあります。再生という言葉には、元に戻るという意味合いが含まれます。「昔は良かった」「もう一回あの時代を作ろう」という意味まで入ってしまっているような気がするのです。再びまちを活性化させるというよりは、「ここでもう一度新しいまちをつくるんだ」というように、発想自体を新しい方向に向けられないかな、と思います。

市長
確かに再生という言葉にはハードのイメージがありますが、本当はそうではなく、根本から新たな価値観で心の豊かさを作り直していく必要があると思います。

柳田
政府も最近ではそれに気付いたのか「創生」という言葉を使っていますが、言葉だけ変えても意味がない。「これは新しい構築なんだ」という気持ちで、それにふさわしいキーワードが見つけられると、価値観の転換につながるのではないかと思います。

経済から知を中心にした地域づくりへ

市長
高度経済成長を経験した側は、昔の成功体験にとらわれがちで、人口減少やスローライフな時代に合わせることが難しい人が多いように感じますが、いかがでしょうか。

柳田
なんとか自分が食べられるだけの収入がある生活も、価値観のひとつとして受け入れられるなら良いのでしょうが、しかしこれは魅力的ではないですね。昨年、原発事故で全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村で、村長選挙がありました。現職の村長は「自分たちの村は貧しいけれども牧畜や水田などがあり、心の豊かさを持っていた。だから、原発による補償を要求してお金で潤うということではなく、それはほどほどにして、もう一度自分たちの力で村を再興していこう」という主張でした。対立候補は「訴訟をして、継続的な補償を要求しよう」という主張でした。選挙の結果はどうだったかというと、接戦でした。何期も村長をやってきて、知名度も高く尊敬されている人が接戦になり、皆びっくりしました。それはなぜだったのか。「ほどほどの生活」「心豊かに」「文化を中心に」と叫んでも、なかなか住民はそうした方向に心が動かないということなのです。これは人間の在り方や心そのものの問題であるので、とても難しいテーマです。しかし、それでもなお私は、お金・経済を中心とした地方・地域の再生は難しいと思います。これはここ数十年の地方再生のさまざまな取り組みが成功していないことが証明しています。ですから、地域の人々が子育てや教育や文化を大切にし、心や他者とのつながりを大切にする「知の地域づくり」を、一般市民のレベルでも「そうなんだよな」と、同意を得ていけるかどうかが、大きな課題ではないでしょうか。

生活や風景に溶け込む「知の拠点」としての図書館像

市長
多摩市は現在、学校跡地に仮に設置している図書館本館を再構築しようと取り組んでいます。市民の皆さんにとっての学びや集いの場所であり、新しい文化やコミュニティが生まれ、そこにいくと何かが動く、あるいは何かが共有・共感できるという図書館を目指しています。実際に委員長として就任され、どんな感想をお持ちですか。

柳田
図書館本館をどのような役割と中身のあるものにしていくかが委員会の宿題なわけですけれども、旧来の「図書館」のイメージにとらわれると、図書館という建物があって、中に入って本を借りて、あるいは館内で調べ物をするという、そういう空間を考えがちです。しかし、これからの図書館は、地域の文化を変えて豊かなものにしていく、人々が知性を大切にし、心の豊かな人生を送っていくための機能を果たす場としてあるべきだと思います。ハードとしての図書館の視点から脱却し、文化活動という地域の広がりの中から図書館というものを位置付けていかないと、新しい図書館にはならないです。ただ本を借りる場所ではなく、地域に広く開かれた活動の拠点となるような新しい発想が、「知の地域づくり」には必要なのです。

市長
今、活字文化そのものが時代のニーズに応えられていないということや、年代によって図書館に求めるものがかなり違うなと感じています。近年、テレビドラマや映画の原作の大半は漫画をベースに作られていますが、多摩市の図書館は漫画やアニメは収集の対象外です。また、今年は夏目漱石と正岡子規の生誕150周年ですが、今の若い人は「坊ちゃん」の世界といってもあまりにも生活スタイルが違い過ぎるためぴんとこないのです。知のインフラというものを図書館再生の中に位置付けていくときに、そうした文化もきちんとキャッチアップしていかないといけませんし、単なる本の貸し借りやリクエストの場ではなく、共に学び・育つ場であり、使う側と使われる側が緊張感を持った切磋琢磨する関係でないと前進は難しいと感じています。

柳田
若い世代が、憧れる人物や「こういった人生を歩みたい」と思えるようなモデルをどこから見つけてくるかというと、今はほとんどがアニメやコミックです。内外の文学書の人物に魅せられて、自分もそうなりたいなんていうのは少なくなっています。そういう時代に図書館はほとんど応えられていない。メディアの急激な変化の中で、知の財産を持つ図書館は柔軟に変わっていかなければならないし、膨らんでいかなければならないと思います。

それから、もうひとつ、多摩市が考えている図書館再構築の場所は、多摩中央公園の一角に位置します。その際、図書館の存在というものが、日常生活の中に一体化しているイメージをつくることが大切だと思います。そびえ立つ図書館ではだめなんです。これだけの緑地があり、単に遊歩道があって図書館に行くまでの道のりが楽しいというだけではなく、オープンカフェもあり、公園もある。公園にはベンチがあり、そこでは緑陰読書を楽しむ人がたくさんいる。そんな風景がつくれる図書館を多摩市で建設することができれば、日本中どこにもない、多摩市ならではの図書館ができると思います。こうしてはじめて過疎化する地方や都市周辺部のイメージが変わっていきますし、そしてこれこそが、新しい「知の地域づくり」の象徴になっていくんです。それが、私が描いている理想像です。例えば、公園の歩道沿いに展示板が点在していて、「今、読んで欲しい本」や作家に関するメッセージが、歩いていて目に入ってくる。子どもと絵本を楽しむ小建屋がある。こういった仕掛けによりはじめて図書館は孤立した建物ではなく開かれたものになると思います。

市長
そうなると、「図書館」というネーミング自体は適切なのでしょうか。図書館という名前からか、昔のイメージからなかなか解き放たれない気がしますが。

柳田
価値観を変えるという意味では、例えば「知の創造センター」などといったように、思い切ってこれからの時代にふさわしいチャーミングな名称に変えてしまうのも手ではないでしょうか。

市長
多摩センターは図書館があり、パルテノン多摩があり、言ってみれば静の場も動の場もあります。まちそのものが公園を中心として文化的な空間になっていくと良いなと思います。これは、物質的な豊かさから精神的な豊かさを求めていく時代への大きなキーワードとなるものだと感じています。

全国の多様な図書館モデルと多摩市ならではのもの

柳田
宮崎県木城町というまちの山の斜面に絵本館があります。面白いのはその中に、セミナーができる場所や原画展ができる小さなギャラリーがあります。別棟には優秀な絵本を揃えている売店とレストランがあり、家族や合宿のための数棟のコテージもある。山側の大きなドアを開けると小さな円形劇場みたいになり、そこでお話会やコンサートもできるようになっています。山の下には池と水上デッキがあり、音楽イベントができる。絵本館を拠点に、本当にいろいろなことをやっているのです。夏休みには昆虫採集をしたり、夜に真っ暗な山を体験したりできる。実に、まちの文化機能の中心となっているのです。

長野県安曇野市には絵本館と美術館がいっぱいあります。安曇野アートラインというもので全てが連携していて、絶えずそれぞれの場所が活発に動いています。

それから、北海道剣淵町では、1980年代ですでに「最果ての地で農業をやっているだけでは、あまりにも貧しい。これからこの地で子どもたちをちゃんと育てていかなくてはならない」と、大人たちが中心となって絵本館の建設を発案し、実現させました。読み聞かせのボランティアグループはお父さんばかり。働く男たちがそういったところに積極的に関わっていっているのも驚くところです。

このようにいろいろな地域のモデルがありますが、より洗練された形で多摩市の図書館が出来上がると良いなと思います。

市長
私もそう思います。私自身、佐賀県伊万里市の図書館に行って、地域の伝統や文化をしっかりミックスさせた図書館の中に子どもたちがいる、そしてそこにボランティアとして地域の大人がいるのを見て本当に理想的だなと思いました。多摩市には文庫活動を頑張ってこられた人もいますし、力を発揮できる人がたくさんいます。また、もしかしたら市の職員も、先ほど柳田さんがおっしゃられたように「図書館」という言葉の呪縛から解き放たれていないのでは、頭の中で理解しているだけではなく、もっと行動していく必要があるのではないか、と感じました。まちの人のライフスタイルが変わったように、図書館も含め、こちらもしっかり変わっていかないと、市民の皆さんと共に夢を語れないなと思いました。

柳田
例えば、若い世代へのアプローチとして、ライブハウスがある図書館というのも面白いかもしれませんね。何も図書館の建物の中にという意味ではなく、市内にライブハウスを設けて連係し、そこでも企画を図書館がやるというのでも良いわけです。中央図書館という概念に縛られていると、「そんなものはとんでもない!」となるのですが。

市長
「知の創造センター」なら可能ですね。

柳田
50年前には考えられなかった変化が今、地域に起きているわけです。これからは20年、30年先を見越した上で、地域づくりの新しい発想を考えていかなければならない。そして、「文化というものは地元でも全部あるんだ」という環境をつくっていくなら、若者に人気のあるまちになると思います。

デジタル時代だからこそ絵本を通して温もりに出会う

市長
今はデジタルの時代ですが、子どもたちが生まれてから初めて見る絵本は、タブレット端末などではなく「紙」であってほしいと思っています。人工知能が発達するこれからの社会は、人間としての感情や、感覚を持つということが大切になります。紙や本の温もりをしっかり後世に伝えていくのも公の図書館の使命ではないかと考えています。

柳田
私は家読(うちどく)という、子どもたちが親と一緒に本を読んだり、読み聞かせをしたりする活動を勧めています。その中で、絵本が他のメディアとは違う、新しい世界のものであると感じました。親の表情や肉声、そして豊かな絵本の物語の世界を共有していく中で、子どもたちの感性が素晴らしく育っていきます。また、子どもだけではなく親も心が成長する。紙の絵本は、デジタル社会の中でもう一度人間のリアリティを取り戻すことができるものなのです。私は、多摩市の図書館がそういった知の創造的活動ができる、全国の最先端の図書館になるという、夢を抱いています。

最後に

市長
今日の新春対談は、日本と世界の動きから、私たちの一番大切にしなければならない心の話まで、たくさんお話しいただきました。また、図書館には限りない可能性があり、従来の枠組みにとらわれない施設であると再認識できました。人類の長い歴史の中で、知の創造にきちんと向き合い、次の世代にしっかりとバトンを受け継いでいくための拠点として、図書館再構築を進めていきたいと思います。


柳田邦男
1936年栃木県生まれ。ノンフィクション作家・評論家。現代人の「いのちの危機」「心の危機」をテーマにドキュメントや評論を執筆する傍ら、子どもの心と人格形成、大人の再生のために絵本の読み聞かせや「大人こそ絵本を」の取り組みを推進している。1995年、著書『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』と、ノンフィクション・ジャンルの確立への貢献で、第43回菊池寛賞受賞。



PAGE TOP